この1年間の変化 「普通でない生活」 

お題「#この1年の変化」

この1年間、、、武漢でコロナが流行し、こんなに大変な生活になるとは思っていませんでした。

感染したら死んでしまうかも。

岡江久美子さん、志村けんさんが亡くなったことは、大きなショックでした。

 

テレビをつければ、マスク、手洗い、消毒、感染者数、死亡者数、非常事態宣言、医療崩壊

そして飲食店、ホテル、その他いろいろなところでの苦悩、倒産。

PCR検査を受けるのも大変で、保健所の電話もつながらない。

毎日毎日毎日毎日、、、、これでもかというほど見せられてきました。

最初のうちは、感染者数をカレンダーにメモし、増えた減ったと一喜一憂していましたが、そのうちニュースを見るのも嫌になり、記録もやめました。

 

3月に友達と旅行の計画があり、出発の間際に緊急事態宣言。

どうするか悩んだ挙句決行。

帰宅後感染の心配で2週間は不安な日々を送っていました。

本来なら楽しいはずが、行くときも帰ってからも不安にならなければいけないとは。

 

それに私は、接客の仕事もしているため、帰りに買い物して帰り、家では、まず手を洗い、着替え、買ってきたものはすべて消毒し、今でもそうですが、もし自分が感染していたらと常に考えながら暮らしていくことがほんとに大変です。

旦那や息子が出勤するときは、「ウイルス気を付けて!」と送り出し、帰宅すれば大丈夫だったかなと心配する。

若い息子は、友達との外食もするので、そこでも常に気を付けるように、店を選ぶように、手洗い、マスク、消毒とテレビと同じことを言っている自分に嫌気もさしました。

 

その他の生活での大きな変化といえば、、、、

 

丁度この時期に当たってしまった、マンション大規模修繕がありました。

他のブログでも書きましたが、ドリル音と金属音などの騒音があり家で過ごすのはかなりの苦痛でした。

外ではコロナ感染恐怖、家では工事騒音。

 

そのような中、息子は在宅勤務になり、騒音の中でよく頑張っていたと思います。

 また、通勤時間が減った分、今まで全くやっていなかった料理を教えてほしいというので、簡単そうなものを数種教えました。

危なっかしい手つきで野菜を切り、これでいい?と聞く息子。

なかなか上手だねと言いながら、私は、のんびりさせてもらいました。

大好物の餃子はもうすっかり習得。

それから、普段はインスタントコーヒー専門なのですが、何年振りかでドリップコーヒーの機械を出し、コーヒーも入れてくれるようになりました。

息子が入れてくれたコーヒーを飲むなんて考えてもみませんでした。

嬉しいですね。

 

 旦那とは、週末映画を観る時間が増えました。

コロナで、テニスコートも使えず、、、。

でも、、旦那が選ぶものは、私にとっては難しい物。

一緒に観始めても理解不能になってくるとそっと見るのをやめちゃうんです。

だからそれが気に入らないみたいで、私にもわかりそうなものを選んでくれるようになりました。

でも、平日一人で見たいものを見たほうが気楽ですね。

せっかく選んでくれたのに申し訳ないし、、、。

 

そして、コロナが流行し、何より困ったことは、実家へいけなくなったこと。

実家には年老いた両親が二人で住んでいます。

2ヶ月に1回ほどの割合で行っていたのが、感染させるかもしれないとのことでほとんど行けなくなりました。

母は、電話で「あと何回会えるんだろうね。」と聞いてきます。

私もいつも考えてしまいます。

コロナさえなければ、、、。

朝、起きれば、両親は元気に起きてくれたかな。

買い物で重い荷物持ちながら、お母さんたちも買い物大変だろうな。

病院での定期検査、コロナ感染していないかな。

今日も元気に過ごせたかな。

もうきりがない、、、。

 

コロナさえなければできたことが、この1年、多くの我慢。

いつまでの答えがないものに耐えることは、辛い。

 

ふつうにできていたことができなくなる。

それが大きな変化でした。

外出すればマスクを着けた人が当たり前のようにいて、スーパーに入る前には消毒、レジにはパーテーション。

何とも言えない恐怖を感じた1年でした。

 

 

映画「サバイバルランド」50代感想

2014年制作 ノルウェーの映画です。

見終えた感想としては、観なくてもいいかなという感じです。

ただ、よかった点を挙げるとすれば、舞台は北極ということで、何もない大自然の景色、、、真っ白な世界と海は美しかったです。

 

あらすじを簡単に説明すると、転校してきたばかりの弟のシンドラがいじめられ、姉のユリアと妹のイダとともに逃げます

逃げた先は、ヘリポートでした。

そこにいたヘリコプター操縦士の男性にこれから整備のためスタヴァンゲルへ向かうということをききます。

スタヴァンゲルには、ヘリコプター操縦士の父親がいて、クリスマスの2日前の53日後まで会えません。

子供たちは、乗せてと頼みますが、当然無理なことでした。

子供たちは、一度帰ろうとしますが、操縦士に無線の連絡が来たので、操縦士はその場を一旦去ります。

その間に子供たちは、ヘリのところに戻り、勝手に乗り込んでしまうのでした。

父親に会える喜びからでしょう。

ところが、行先は変更になり、遭難信号が来た、半月島へ行くことになってしまったのです。

 

子供たちが乗ったまま、ヘリは離陸し半月島へ。

そこで乗務員は、クマに襲われた男性を迎えに行っている間に、子供たちは、父親のいるスタヴァンゲルだと思い降りてしまいます。

子供たちは父親を捜すため走るのですが、子供たちに気づかずにヘリコプターは離陸。

子供たちは、取り残されてしまいます。

 

ここで、位置の確認を。

スタヴァンゲルの場所ですが、ノルウェーの南にあります。

子供たちの住んでいるところは、わかるといいのですが出てきませんでした。

そして、半月島はロングイエールヴィーンという北極にある島のようです。

 

さて、半月島、、、ただ小屋があるだけで周りは氷河、氷、雪、海。

北極とは、気温は−71℃らしい、、、。

低すぎて、想像できません。

寒すぎて、死んでしまいそう。

その小屋は、救助された男性が住んでいたところでした。

そんなところで子供3人でどう生きていくかというありえない内容でした。

男性が住んでいたから子供たちも大丈夫ということで製作されたものだと考えられますが、実際のところ無理ではないかと。

お姉ちゃんであるユリアは、缶詰を温めて食事の世話をしたり、住人の日記を読んで、そこでのことを知ったり。

でも、そこは、ただの小屋で、普通なら考えられないほど寒いと思うのですが、室内にいる子供たちからは、そんな感じは受けません。

ストーブで温まるシーンなどもほとんど出てきませんでしたし。

平気そうでした。

古い無線機を見つけどうにか動かそうとするのですが、子供にどうにかできるはずもなく、大人の私だって、絶対無理。

シロクマ向かって大声で威嚇し弟を守ったり。

これで向かってこないのかと。

また、食料が尽きて、日記から推測した北へ行けば何とかなると、ユリアがスノーモービルに2人をのせ走るのですが、よく運転できるなぁと。

そしてその方向もどうやって決めてたのか。

コンパスを使っている様子もなく。

無謀です。

途中で氷の割目にシンドルが落ちて、それを助けようとしたユリアも落ちてしまうのですが、その2人を妹のイダが助けるというどう考えても不可能と思われる設定。

おまけにびしょびしょの状態で、スノーモービルで小屋に戻る!

絶対無理だと思います。

寒くて、凍えて死ぬのがふつうだと思うのですが。

 

最終的には、助けが来るのですが、あのような状況でよく頑張ったねと言ってほしいための映画なら、それでいいですけど、感動することは難しい。

感動や苦難を乗り越えた姉妹たちを表現したいなら、もっと考えられる設定の方がよかったのではないでしょうか。

 

やはり映画を観たら、それなりのものがなければ、、、ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日思ったこと

先日、コンビニへ行った時のこと。

並んで待とうとすると、そこには毛皮を着たいかにも上流階級らしき60~70代の女性。

ちなみに私は、ごく普通階級ですが。

ものすごい剣幕でアルバイトらしき若い店員の人に「どうなの?これで本当に大丈夫なの?着かないと困るんだけど!」と。

どうやら封書を出そうとしていたようですが、切手代金のことでもめていたようです。その店員はおどおどしながら「大丈夫だと思います。」と。「本当に大丈夫なの?」とまたしても強い口調の女性。

裏から出てきた慣れた店員さんが、「大丈夫です!」と。

「じゃ、3枚って言ったでしょ!早く頂戴よ!電車、間に合わないじゃない!」

くそばばあ!って感じでした。

「そんなに心配なら、すぐそばの郵便局へいって、重さと大きさ確認してもらえばいいのに。そしてもっと早く来ていれば電車間に合うのでは?」と思いました。

帰り道、あの若い店員さん大丈夫かなと気になりました。

 

また、ある日のこと。

私がバイトしている中華料理屋で、これまた女性が「ニラレバね!」と注文し、3分経たないうちに「まだできないなら帰る!」と出て行ってしまいました。

なんて勝手な!

急いでいる人は、早くできるかどうかを確認してから注文するのが当たり前だと思うのですが、こんな普通でない人が来店した時にはびっくりでした。

店長は、怒って「カップラーメンじゃないんだから!」と言っていました。

 

昨日、買い物に行ったときには、ちょっとほっとしたことがありました。

今は、コロナのため、レジでは間をあけて待つことになっていますよね。

私の番になり、1メートルほど歩いてレジにかごをのせようとしたところ、横から入ってきたご婦人がかごを置いてしまいました。

私が「並んでいました。」というと「あら、ごめんなさいね。そうよね。」と言ってくださり、一度去ろうとしたのですが「本当にごめんなさいね。」ともう一度言いに戻ってくれました。

たったこれだけのことですが、その日1日幸せな気分でいられるから不思議です。

 

このような日常のちょっとしたこと、みんなが相手のことを思って接していればまるく収まることがほとんどだと思うのですが、自分勝手な人が多い世の中。

 

私も出会った人にほんのちょっとでもいい気分って思ってもらえたら幸せだなって思いました。

 

 

 

 

 

 

 

映画紹介「イーディー83歳 初めての登山」ネタバレなし【50代の感想】

この映画は、イーディー役である、1933年2月22日生まれ、当時83歳のシーラ ハンコックさんが、過酷な登山に挑むまでの心の葛藤を描いた作品です。

私は、50代なので、同年齢のご両親をもつ方なら想像しやすいと思います。

父は、イーディーとほぼ同じ年齢です。

私の父も登山が好きで、よく山に登っていたので、今の父ならどうするだろう、娘の私はどう対応するのだろう、などということを考えながら観ることを決めました。

感想は、その時々で50代の私でも主人公と同じ気持ちになれたことがよかったところだと思いました。

 

映画紹介「イーディー83歳 初めての登山」ネタバレなし【50代の感想】

目次 

  • 登場人物
  • イーディーについて
  • 始まり
  • ジョージの死
  • いつものレストランで
  • イーディーの挑戦
  • ジョニーとの出会い
  • ホテルをキャンセルしなかったイーディー
  • 登山への意欲

     

 

登場人物

  • イーディー 83歳 この映画の主人公
  • イーディーの娘 ナンシー
  • ジョニー  イーディーが出会った青年、、、彼がいなければ、、、。
  • ジョニーの友達
  • フィオナ ジョニーの彼女  

 

イーディーについて

イーディーという人は、場面場面で強いところ、弱いところを演じ、また、ある時は嫌みなおばあちゃんであり、別の場面ではかわいいやんちゃなおばあちゃんだったりの役柄を演じています。

そして、彼女の青い瞳はいつも遠い何かを見つめているようでした。

 

 始まり

ある日、屋根裏の物置部屋へ行ったイーディーが見つけたものは、無造作に置かれたキャンプ用の古いやかんとコンロ。

大好きだった父との思い出の写真、

そして「昔を懐かしみながら、このへんてこな山に一緒に登ろう!」と書かれた古い絵はがきでした。

 

ジョージの死

長い長い介護の末、夫のジョージが亡くなりました。

その3年後に家を売り、娘のナンシーに連れられて老人ホームに入ることになります。

老人ホームで、周りは皆よぼよぼした年寄りだと感じたイーディーは、もしかしたら、私は、まだ、こんなところに来るべきではないと思っているような強気な態度を見せます。

部屋で、荷ほどきを手伝っていたナンシーは、たまたま見つけた、母の日記を読んでしまう。

そこから2人はまずい雰囲気になるのですが、なぜ、ナンシーが怒ったのか、一緒に観ていた私と旦那では意見が分かれました。

皆さんはどう思うでしょう。

このときイーディーが言った言葉「日記だけが想いを打ち明ける相手だった。」とは、、、。

どれほど辛い日々を送っていたのでしょう、私だったらきっと耐えられない。

 

いつものレストランで

 場面は変わり、ある日、いつも通うレストランで、「いつもの」と注文。

その少しあと、「追加は遅い?」とイーディーが聞くと、「何も遅すぎることはないさ。」という店主。

この言葉に、「はっ!」としたイーディー。

私は、この店主の言葉、、、自分にも言い聞かせています。

遅すぎることはない。

なんでも始めようと思った時がチャンス!

やろうと思った時にできることをやる。

誰にでも当てはまると思います。

いい言葉ですよね!

 

イーディーの挑戦

でも、83歳のイーディーがやろうとしたことはものすごい挑戦!

それは、父からもらった絵はがきにあったスイルベン山に登ることだったのです!

そうと決まれば、ナンシー宅に留守電を入れ、荷物づくり開始。

決断力がすごい!

寝台列車スコットランドインバネスへ。

ところが、駅に到着し、ホームを歩いていると走ってきた男女に運悪くぶつかられ転倒。

イーディーは、無事でしたが、「大丈夫?」と尋ねる二人に「逮捕ね。」とここでも強気。

 この時ぶつかった若者がジョニーですが、こののちイーディーにここまで親切にできるのはなぜだろうと思うのと同時に、彼女の思いをきちんと受け止めてくれた素晴らしい青年というのが感想。

 

ジョニーとの出会い

車に乗っていたジョニーは、雨の中、バス停で待つイーディーに気づき「バスは4時間こない。送ってあげる。」と言う。

イーディーは、1度は断るも結局のせてもらい予約したホテルへ向かうことに。

ホテルでは、「予約は明日です。」と言われ、「今日のはずよ。私はぼけてないから。」とまたまた強気の発言!

 しかし、どこも空きはなく、ジョニーの汚い部屋で一晩、またしてもお世話になることになる。

 

ホテルをキャンセルしなかったイーディー

翌朝、ジョニーの部屋をそっと出て、予約していたホテルへ向かい、登山をあきらめようとしたのか、キャンセルを申し出ようとするが、、、、。

偶然そこにいた、鼻からチューブを入れてソファーにうなだれている老人を見て、「キャンセルはやめるわ。」と。

ちょっとの場面も観逃してしまうと、気持ちの移り変わりにを気づくのが難しいかもしれません。

 

登山への意欲

それから、イーディーの登山への意欲が再び沸きはじめました。

壊れたバッグのバックルを買うため、キャンプ用品店へ行くとそこはなんとジョニーの店でした。

そこで、キャンプのことをいろいろ聞き、4日間の訓練とガイドをお願いすることになります。

今後イーディーとジョニーがどのようにかかわっていくのかは映画を観てのお楽しみです。

 

ちょっと言ってしまうと、とても楽しそうなトレーニング風景、まるで恋人のような2人、感情をさらけ出してお互いの思いをぶつけあうシーン、そして素晴らしい景色、、、はい、ここまで。

 

会って間もないおばあちゃんと若者がお互いの心の中を理解できるって素晴らしい。

知り合って何年たっても 分かり合えない人もいるのに。

 

 どんな人におすすめ?

  • 50代以上の人
  • 頑張る姿を見て、自分も元気をもらいたい人
  • 人の気持ちを自分の気持ちに置き換えられる人

 

 最後には、人生の大先輩であるイーディーからの心に響く言葉があり、私もそのようなことを思う日々があったので、その言葉大切にしたいと思う映画でした。

 

 

無駄に過ごした日

  

今日は、午後から晴れ、いろいろなことが思うようにはかどりましたが何もしたくない日、皆さんどうしていますか。

 

真っ暗な朝、頑張って起きて朝食、お弁当の用意をし、洗濯物をなんとか済ませ、バイトがない日は、なんかだるくて,デレッとしてしまう。

座椅子にもたれ、今の時期は寒いので、毛布にくるまり、何となくTVを見ながら、そのまま寝てしまうことも、、、。(もちろんテレビは消して)

更年期のせいなのか、ただ単になまけもののせいなのか、本当は何ともなくただ甘えが出ているだけなのか。

こういう症状を何のせいなのかはかる機械があればといつも思う。

 

たいていは、寝ぼけながら起き、やり残した家事が気になり、これはやばいと思い、少しづつ片付ける。

それが、夕方だったりすると、「もうすぐ今日が終わってしまう!」と後悔。

いつもそんなことを思っているので、自作の曲をギターで作ってしまい、つい口ずさんでしまう。

 

1日は24時間しかないのか24時間もあるのか。

今日は、睡眠となまけで随分ムダな1日を過ごしてしまったなと反省。

でも、それができたおかげで、元気復活と喜んでいいものか。

 

そんななまけものの自分とは全く違う環境で、ウイルスと戦っている医療従事者、何とか生き延びる方法を考える飲食業界の人たちは頑張っている。

ニュースを見るたび、明日こそは、今日より充実した日を送らなければと思う。

 

 

 

 

 

 

言った言わない 家族でのトラブル

誰にでもあることではないでしょうか。

言った言わないでのトラブル。

 

うちでもよくあります。

旦那「今日出かけるって言ったよね?」

私「聞いてないよ。」

旦那「この前言ったよ!」

 

私が関係していないことならいいのですが、関係していることだと言い合いに。

例えば、出かける時間までに食事ができていなかったり、買い物を頼まれて買っていなかったり、大切な書類の締め切りとか。

私が、キッチンのカウンターのこっち側で、食器を洗っているときや食事を作っているとき、カウンターの向こう側から言われても聞こえていないことが多いようです。

ガーガー換気扇も回しているし、ジュージューフライパンで炒め物作っていたり、テレビもついているし。

また、掃除機かけているときとか、ぼ~っとしているとき。

そんなことが、しょっちゅうあって、「今度は、ちゃんと面と向かい合って言って。」というのですが、それがなかなか難しい。

 

妹はよくライブへ行くのですが、遠方だと泊りがけになるため、行く2,3日前にその確認のために旦那さんに言うと、やっぱり聞いていないと。

そこでもトラブル勃発!

ライブというのは、チケットが取れてから、その日までに期間があるので、旦那さんは、忘れているのでしょう。

 

ちょっと話がそれますが、父と母の間では、2人とも耳が遠いので、言った言わない、聞いていないではなく,聞こえていないでのトラブルが。

 

大切なことは本当に困りますよね。

それを防ぐため、うちでは、すぐカレンダーにメモしたり、特に大事なことや、家族みんなが知っていなくてはいけないことは、紙に書いて貼ったりすることにしています。

この方法は、妹や、両親にも提案しました。

でも、ちゃんと読んでくれなきゃ意味ないですよね。

昨日の外出のこと、息子は、知らなかったって。

 

面と向かってとお願いしても、騒がしい時にカウンターの向こうから話しかけられたときは、「今は、聞こえてないからね~。あとで言ってね~。」と言っちゃいます。

先日、ちょっと笑ってしまうことがあって、旦那が独り言のようにボソッと何かを言った時、わざわざ正面に行って、「何か言った?」と聞くと「あっ、別に大したことじゃないから。」と。

 

人の言ったこと、すべてに集中して、耳を傾けることは大変ですが、できる限り聞いて、トラブルは回避したいですね。

 

 

コロナに絶対かかりたくない!

TVでは、毎日のように増え続けるコロナ感染者数が出され、マスク、自粛をと言われ続け憂うつな気持ちになる。

そして大人数の飲食でのクラスター発生、病床不足、医療崩壊、自宅で亡くなる、ワクチン接種の順番、飲食店への時短要請、さらに飲食店の方たちの振り回されて疲れ切った様子。

でも、私が一番知りたい情報は、きっちりと対策を取っていたにかかわらず、感染してしまった方の話。

 

幸いにも私の周りや知り合いには、感染した人はいない。

私は買い物に出かけ、旦那は車通勤ですが出社している。

家族での外食もたまにする。

息子は、在宅勤務ですが、週末などリフレッシュのため、電車で都内へ出かけて友達と会い、食事をする。

父や、母は、ケガや持病のため、止む終えず病院へ行く、そして帰りに買い物。

その父母に、私はウイルスがあるかもしれない電車で会いに行き、帰宅をして2週間後に様子を聞き、感染しておらず安心する。

妹たちも他人と接触がある職場で働く。

おい、めいもそれなりの生活をしている。

もし、私たちが、誰一人外出することなく、じっと家で過ごしているなら感染することは100パーセントないはず。

でも、そんなことはできない。

やむを得ず外出する際は、マスク、手洗い、消毒を欠かさず。

外食する際は、自分でテーブル、はし、スプーン、フォーク、メニューを除菌する。

買ってきたものは、すべて除菌シートで拭き、服も着替えて、これで今まで感染しなかったということは、たまたま周りに感染者がいなかっただけのことなのか、ウイルスはあったけど、免疫力のお陰で勝てたということなのか。

知り合いには、帰宅したらさらにすぐ風呂に直行という人もいるが、もしここまでして感染したら、どういう人が絶対感染しないのかと思う。

 

思い当たることがあり感染したならしょうがないと思いますが、もし私が今感染したら恐ろしいことだが、感染経路はわからない。

感染経路を言えない人も多くいるようですが、そんな人はどうでもいい。

きっと感染してもいいと思っていた人だろうから。

または、自分は大丈夫だろうと思っていた人だろうから。

こんな時に、またニュースでは、議員が会食をしただの、夜の街に数人で出かけたようなことを言っていた。

どうなっているのでしょう。

 

充分気を付けていたにもかかわらずかかってしまった方の話を伺いたい。

気の毒すぎる、、、。

まだ自分の行動で見直せることがあるなら、参考にさせていただきたい。

絶対かかりたくない!

 

一体いつまで恐怖と戦わなければいけないのでしょう。

自粛もマスクも消毒も疲れた!