アラフィフからの飲食店でのアルバイトは大変!体験談

これから、飲食店で仕事を始めようとしている方、学生時代に経験あるから、私でも、、、と思っている方がいらしたら、結論から言って大変なのでやめたほうがいいです。

ここまで読んで、辞める決心をした方はいい決断です。

 

ちょっとでもトライしてみようと思う方は、もう少しお付き合いくださいね。

 

            目次

1.きっかけ

2.研修

3.初日~1か月

4.初代店長の時期

5.1か月後~2年後

 6.その後

7.終わり

 

1.きっかけ 

 

今から9年前、専業主婦だった私は、主人の単身赴任が決まり、会いに行くための新幹線代でも稼ごうと思ったからです。

たまたま家から10分ぐらいのところに中華のチェーン店が、新規オープンすることを知り、面接を受け、めでたく合格しました。

遠い昔の学生時代には、数種の飲食店での経験がありましたので、まあ大丈夫だろう位の軽い気持ちでした。

 

2.研修

 

合格後、オープン前の研修が、1日2時間くらい4日間ありました。

初顔合わせで、主婦は私ともう一人、その他大勢は、大学生、高校生でした。

もっと主婦がいるものと思っていたので予想外でした。

挨拶、接客、メニュー暗記、、、ここまでは思っていた通りでしたが、私が最も苦手だったものは、注文を取るハンディという機械の操作方法でした。

教えられても全く分からず、、、。

実際に店員役とお客さん役に別れ、ハンディで注文を取り、厨房へ流し、出来上がった料理を運ぶという練習もしましたが、私は、初日からつまずいてしまい、注文が取れませんでした。

焦りました。これでは仕事ができません。

ラッキーなことに、そのお店は、オープンに向けて改装中の中での研修でした。

研修担当者に自習の許可をもらい、初日から残り、2日目、3日目、4日目は、2時間ほど早く行き、研修後も一人残って、お客さんの注文を想定しながら、ひたすらハンディの練習をやりました。大工さんが作業をしている中でです。

 

3.オープン初日~1か月目

 

ものすごい緊張で、初日を迎えました。

練習した甲斐があり、ゆっくりでしたがハンディも操作できるようになりました。

しかし、注文のミスは、してしまいました。

初めてのミスということもあり、怒られませんでした。

学生さんは、手慣れたものでぱっぱとこなしすごいなと思いました。

あっという間にランチタイムが終わり、もう一人の主婦の人と「明日からも頑張りましょうね。」と約束しその日は、くたくたで帰宅しました。

次の日行くと、店長に「あの方はやめました。」と言われ、私は、心の中で「え~っ!」思わず叫びました。

その日から、主婦は私一人になりました。

専業主婦だった私にとっては、最初の1か月は、覚えることがことがたくさんあり、ハンディも早く使いこなさなければならず、大変だったの一言です。

ミスもしょっちゅうで、怒られてばかりでした。

薄利多売のチェーン店、一生懸命努力はしたのですが、やはり、他の学生さんたちに比べ、店長から見て、きっとのそのそもたもたしていたのでしょう。

週3日の契約で、最初の1か月はおそらく試しに60時間使ってもらえましたが、その後は、どんどん減っていきました。

 

4、初代店長の時期 

 

ここで、店長について書かせていただきますね。

9年もいると店長は、次々代わり今は、5人目です。

私は、アラフィフでしたので、店長も20代から40代で、みな私より若い方でした。

最初の店長は、とても細かい方で、私は、あらゆることで毎日怒られていました。

この店長は、お客様にはにこにこ顔、私の方を見るときは、目が吊り上がっていました。

これだけ怒られるということは、私は、使い物にならないからだと思い、何度もやめようかと思いました。

内容については省きますが、そんな感じで店長とバイトの恐怖心みたいなものがあり帰宅後は、毎日涙が出、毎晩眠れず、朝は早くから目が覚め、かなりのストレスを感じていました。

旦那が単身赴任で不安な日々が続いていたこともあり、ちょっと体調を崩し、風邪を引いた時から、なんと嗅覚がなくなってしまったのでした。

それでも少しづつ何年もかけてほぼ回復はしましたので安心してくださいね。

最初の店長がとても厳しかったので、そのほかは、優しいというかあまり細かいことを言わないような、店長によってこんなに違うものなんだと思いました。

そんな恐怖の店長が言っていたあれこれも、のちにそういうことだったのかと思わされたこともありましたので、今となっては懐かしいです。

 

5.1か月後~2年後

 

バイトを始めたと言っても、自分の思い通りの勤務時間にはならないということを知った年月でした。

学生時代のバイトは、今考えてみると人件費も多く、一人ひとりの負担も少なかったのですね。

薄利多売のこのバイトは最低の人員で回し、やはりできる人が多くのシフトに入れてもらえます。

私のようにできないものは、週3回の契約でも、どんどん削られ、週2回が酷い時は週1回にまでなっていきました。

間違いなく辞めさせたかったのでしょう。

できないから減らされると、ますますできるようにならず、久々に出るとミスをするという悪循環。

本当に何度も何度も辞めようと思ったのですが、せっかく合格して、研修を終え、何とか続けてきたのでもう少しと頑張りました。

私の場合は、主人がそれなりの生活費を稼いでくれているお陰で、これは、主人に会いに行くための新幹線代だから、ということで頑張れたのです。

辞めたら0円、週1回でもやればいくらか、、、と思いながら。

おそらく生活のためなら、とっくに辞めて他へ行っていたでしょう。

そんなほんの少しの稼ぎの期間が2年ほど過ぎていきました。

年間の稼ぎはなんと25万、、、笑っちゃいますね。

恥ずかしくて知り合いには言えません。

 

6.その後

 

2年を過ぎたあたりから、店長は3人目に変わりました。

この店長は、私にとっては、一番親しみやすい方でした。

普通の人なら、3か月くらいで慣れる仕事を2年もかけて、亀のようにゆっくり、あとから入ってきたウサギにどんどん追い抜かれながらなんとか頑張ってきました。

情けないし、バカみたいだな~と思いながら。

そのようなことを知ってか、3人目の店長は、私が、それなりにできていたのに加え人員が不足していたこともあり、契約の週3回に加え、4日、5日も出てほしいと言ってくれるようになったのです。

年収は、やっと50万~60万くらいになりました。

その後、かなり偉そうにしている4人目の店長、そして、あまり細かいことは言わないおとなしい現在の5人目の店長と変わりました。

途中、とてもいじわるな人にいじめられていた時期もありましたが、優しい若者に助けられなんとか乗り切ることができました。

味方がいることも続けて行くことで大切だと思います。

そしてシステムも変わり、着いていくのが大変なので辞めたい旨も伝えたのですが、何とか辞めないでほしいと言っていただけるまでになりました。

そのような感じで、9年目を迎え現在に至ります。

現在も週3日で、働いていますが、ランチは非常に忙しく、帰宅するとくたくたです。

昼寝する日も度々!

 

7.終わりに

 

主人の単身赴任が終わった現在もバイトは続けていますが、まあ、やってきてよかったなというのが感想です。

若いころこのような大変なバイトの経験がなかったので、現在の若者の大変さを知ることができましたし、(今は大変な時代!)スピード感と無駄のない仕事の方法も身につきました。

お客さんとの会話もありますし、仕事は疲れますが楽しいです。

しかし、そろそろやめるときが近づいているのも確かです。

なんたって疲れはその日に解消されませんからね。

それにコロナの影響で売り上げも下がって、この先どうなるかもわかりませんし、、、。

でももう少し頑張ってみようかな。

辞めれば0円、週1でもやればいくらかですからね。

 

私の体験談、どなたかの参考になれば幸いです。